スポーツ
2021.12.07
敦賀信人さん カーリング男子元日本代表〈インタビュー〉
敦賀信人さんに聞く! カーリングの魅力とルール解説
冬のスポーツとして注目されるカーリング。カーリング男子元日本代表の敦賀信人さんは、1998年の長野オリンピックで、日本代表のスキップ(主将)としてチームを5位に導くなど、日本のカーリングの先駆者のおひとりです。現在は男子チーム「常呂ジュニア」のコーチ、漁師、名寄市立大学の特命教授、テレビ解説者など、多彩に活躍されています。敦賀さんに、カーリングとの出合い、カーリングの魅力、これからの夢などをうかがいました。カーリングの基礎知識や試合観戦で注目すべきポイントもご紹介します。
Ⅰ.敦賀信人さんってどんな人?
観るのと実際にやるのとでは全然違うスポーツ
――敦賀さんとカーリングとの出合いを教えてください。
僕は小さい頃からスポーツが大好きで、野球、スピードスケート、バレーボール、バスケットボールといろんなスポーツをやってきました。スピードスケートをやっていた頃に、スケート場の横にカーリング場ができたんです。中学2年でスケートを辞めた時、友達に「両親がカーリングをやっているから観に行かないか」と誘われて行ったのが最初の出合いでした。
――最初の印象はどうでしたか。
初めて観た時は、あまりの印象の悪さにこのスポーツだけはやりたくないと思いました。当時はカーリングを楽しんでいる人というと高齢の方ばかりだし、今はブラシを使っていますが、当時は庭掃除で使うようなほうきを使っている人もいて、あまりにも見た目が悪かったんです。
お年寄りや親御さんばかりがやっていたので、当時の常呂カーリング協会会長の小栗祐治さん(故人)が若者や子供たちに「カーリングやらないか」と誘っていました。僕も誘われたのですが、何度も断りました。でも何度もしつこく誘ってきたので、友達とやってみようということで始めました。実際にやってみると、これが観るのとやるのとでは全然違ったんです。
――どんなところが違ったのでしょうか。
石を投げて円に入れるのが簡単そうに見えたんですね。でもやってみたら何十投投げても1投も入らず、力加減も難しくて。その時にすごく悔しかった。それまではどのスポーツもわりとできるほうだったのに、カーリングに限ってはまったくできなくて。もっとやりたい! と熱い気持ちにさせられました。
全日本選手権で初優勝した大会が忘れられない
――そこからカーリングに目覚めていったのですね。ずっと第一線で活躍されてきて、選手として一番印象に残っている大会は何ですか。
1996年に「全日本」で初優勝した大会(第13回日本カーリング選手権大会)が忘れられないです。95年、高校2年の時にオリンピックの正式種目になると決まりました。それから日本代表になることを目指してきましたが、ジュニアでは通用しても、シニアでは簡単に予選で負けてしまって。96年のシーズンに、強化指定2チームを倒して優勝すれば日本代表に選ばれる可能性があると言われて、今までよりも勝ちたいという気持ちが強くなり、練習に一層力を入れるようになりました。全日本ではその2チームを予選で倒して、準決勝も決勝も倒して高3で初優勝したんです。
その時にこのチームで日本代表になれると思ったのですが、結局チームからは私を含む2名しか選ばれませんでした。チームで選ばれないで2人だけでいい思いはできないということで、僕は初め辞退すると言いましたが、当時の阿部周司コーチ(現「コンサドーレ」のリード*を務める阿部晋也選手の父・故人)に「今後カーリングを続けていく上で必ず意味があることだから、ちゃんと日本代表選出を受けなさい」と言われて、すごく泣いた記憶がありますね。選ばれなかったメンバーも「うちらの分も頑張って」と言ってくれて、行くことに決めました。
優勝してうれしかったのも、チームで日本代表に選ばれなくて悔しかったのも96年の「全日本」なので、忘れられないです。
*リード:1投目、2投目を投げる選手。
2013年、現役を引退
日本カーリング選手権大会では1996年の初優勝から99年まで4連覇、98年に長野オリンピックにスキップ(主将)として出場し5位入賞、2010~12年に日本カーリング選手権で3連覇と、カーリング業界で目覚ましい活躍を遂げてきた敦賀さん。13年、第30回日本カーリング選手権の決勝で敗れ、現役引退を表明する。
――引退された時の心境や、引退を決意した理由をお聞かせください。
あの時点でもうこれ以上世界で戦うのは厳しいと思いました。あとは漁師の仕事の方が忙しくなってしまったこともあって。パシフィックアジア選手権の日本代表決定戦が9月で、ホタテ漁の最盛期と重なってしまい、代表決定戦への出場を辞退しました。ある程度区切りなのかなと思ったのと、次はコーチに回って他の選手たちをバックアップしてあげたいと思ったんです。
――引退しても、カーリングに携わる仕事を続けようと思われたのはなぜですか。
自分が選手だった時もそうでしたが、カーリング業界は指導者が少なかったんですね。だから、僕が下の世代の選手たちに今までの経験を伝えたり指導したりすることで、1人でも多くの選手に世界で活躍してほしいと思いました。
カーリング競技と漁師との両立
――敦賀さんは現役の頃から漁師をされています。なぜ選手を続けながら家業の漁業を継ごうと思われたのでしょうか。
僕は男3人兄弟で、兄は早くに自分の道を決めて跡継ぎは任せると言われて。僕は小さい頃から父を手伝っていたので、ごく自然に自分が継ごうと思いました。カーリング競技に関しても、地元の北海道・常呂町が指導者や設備などの全てにおいて、一番環境が整っているのかなと思います。漁業は小さい頃から父が網を準備したりするのを見ているから慣れているし、カーリングも地元に素晴らしいリンクがあって、争う仲間もいる。カーリングを続けたい、漁師もできるとなったとき、地元に残ることが一番の選択肢だなと思ったんですよね。
――コーチ、教授、解説者と複数のお仕事があり日々お忙しいと思いますが、今も漁業は続けているのですか。
はい。ホタテ漁、牡蠣(かき)漁をやっていて、12、3歳の時から教えている「常呂ジュニア」の中原亜星くんのお父さんとは、共同でウニ漁をやってます。出張するときも、前倒しして漁業を終わらせてきたり、間に合わないときは仲の良い漁師さんに頼んだり、やりくりしながらですね。
――カーリング業界で漁師の方は多いのでしょうか。
そうですね。今教えているチーム「常呂ジュニア」の4人のうち、前田拓海・拓紀兄弟とか、中原くんのお父さんも同じ漁師です。常呂町は漁師や農家でカーリングをしている方が多いですね。同じ苦労をしている一次産業のメンバーでチームをつくるということで、漁師3人、農家2人の5人でチームをつくったこともあります。
人とのつながり、信頼関係が大切
――敦賀さんにとってカーリングの魅力とは何ですか。
いろんな人との出会いや、つながりができること。それが仕事でも生活でもプラスになっていると思います。カーリングを通して世界各地で知り合いができて、遠征先で宿に安く泊まらせてもらったり、ジュニアを連れて行ったらごはんをお腹いっぱい食べさせてくれたり。周りの人にすごく助けられてますね。人との接し方、人とのつながりはカーリングが教えてくれたと思います。
――カーリングって常にコミュニケーションをとっていますよね。やはりそういったところでチームワークや人とのつながりが大切なスポーツなのでしょうか。
本当にその通りです。一番性格が出るスポーツだと思います。どの競技よりもプレイしている時間が長いですから、メンタルも重要です。チーム同士でかける言葉やかけられる言葉によって、メンタルも大きく変わります。嫌な言葉をかけられて集中力がなくなって、一気にゲームが悪い方向に向かってしまうこともあります。
――試合以外でも密にコミュニケーションをとっているのですか。
はい。今教えているチーム「常呂ジュニア」も小学校2年間、中学、高校とずっと一緒で、とても仲良しです。今までいろんなジュニアを教えてきましたが、彼らがすごいと思うのは、練習や試合だけでなく私生活も4人で過ごすところですね。宿に泊まるときも1人部屋ではなく、4人部屋がいいと言うんです。最近はカーリングの練習の合間に、みんなでゴルフ場にゴルフをしに行ったりしていますよ。
――そんなに仲良しなのですね! 普段の信頼関係が試合にもつながるのでしょうね。
カーリングはコーチとのつながりもものすごく大事です。選手4人の信頼関係があっても、コーチとの信頼関係もないとだめなんです。だから、僕も練習や大会についていくだけじゃなくて、合宿にも数日だけでも参加して、一緒に宿舎で長話したりごはんを食べたりします。仕事は忙しいですが、その中で一緒に過ごす時間を大事にしています。
いろんな経験をさせてあげたい
――最後に、敦賀さんの夢を教えてください。
自分の教えているチームだけでなく、若い人たちにいろんな経験をさせてあげたいです。楽しい経験でも悔しい経験でも、必ず後につながりますから。
カーリングは実際にやってみるまでが重要だと思っています。僕自身もそうでしたが、見た目では楽そうと思う人がたくさんいるんです。でも実際にやってみることによって、印象ってガラッと変わります。やってみて初めて奥深い面白さや難しさが分かります。やったことのない人にはぜひやってもらいたいし、できる環境をつくってあげたいなと思いますね。
忙しいけれど大学の講師を続けている理由もそこにあります。大学生はほぼ全員が未経験ですが、冬に3日間集中講義をやって、最終日には3分の2以上の生徒たちが「続けたい」って言います。中にはそのまま続けて日本代表戦や全日本選手権に出た子もいるんですよ。そうやって教える機会があれば出向いて、1人でも2人でもカーリングに興味をもってもらえるきっかけをつくれたらと思います。
Ⅱ.初心者のためのカーリング[ルールと解説]
ここでカーリングシーズンに向けて、初心者のためにカーリングの基本ルールをおさらいしましょう。また、日本におけるカーリングのルーツや選手のトレーニング内容について、敦賀さんにうかがいました。これを読んで世界大会のテレビ観戦や、会場でのライブ観戦に備えましょう!
●カーリングとは
カーリングは、氷の上でストーン(石)を滑らせ、約40m先のハウス(円)に入れて得点を競う2チーム対戦型のスポーツ。15~16世紀にスコットランドもしくは北欧の国で始まったといわれている。高度な戦略や技術が必要とされるので、「氷上のチェス」とも呼ばれる。
●チーム構成とそれぞれの役割
1チームは4人で構成され、ストーンを投げる順に「リード」「セカンド」「サード(バイススキップ)」「スキップ(フォース)」と呼ぶ。
リード |
|
---|---|
セカンド |
|
サード (バイススキップ) |
|
スキップ (フォース) |
|
スキップ
ハウス側でストーンをどこに置くかの指示、声掛けを行う。その日の氷の状況を読みながら作戦を考えるチームの司令塔。
デリバリー(投げる)
ストーンを投げることを「デリバリー」という。「ハック」と呼ばれる蹴り台から滑り出し、右回転か左回転いずれかの回転をかけて、ストーンをハウスに向かってデリバリーする。
ハックから10m先のライン「ホッグライン」までの間にストーンから手を放さなければ失格となり、ストーンが無効となる。また、投げたストーンが反対側のホッグラインを超えなかった場合や、ハウスの一番後の線「バックライン」を超えてしまった場合もストーンは無効となる。
スイーピング(掃く)
専用のカーリングブラシを使って、氷の表面をこすることを「スイーピング」という。ストーンの前方の氷をスイープ(掃くこと)して溶かすことにより、ストーンの距離を延ばす、直進性を高める、より大きく曲げるなど、ストーンをコントロールする。
●ゲーム進行と得点の数え方
1人2投ずつ、相手チームと交互にストーンを投げ、1チーム8投、両チーム合わせて16投投げ終わった時点で、得点をカウントする。この区切りを「エンド」と呼び、これを10回(10エンド)行い、合計得点で勝敗が決まる。
16投全て投げ終わった時点で、ハウスの中心に最も近い位置にストーンを置いたチームがそのエンドの勝者。相手チームの一番中心に近いストーンより内側にあるチームのストーンの数が得点となる。負けたチームは必ず0点となり、ハウスの外にあるストーンは得点にならない。ストーンの一部がハウスに少しでも入っていれば得点の対象となる。
※下記、図の一番外側の青い線から内側が「ハウス」
★カーリングは後攻が有利!
試合前には、各チームの代表者がドローショット(ハウスの中にストーンを止めるショット)を行い、より中心に止めたチームが先攻か後攻かを選択できる。先攻、後攻はエンドごとに入れ替わり、点を取ったチームが次のエンドは先攻になる。
途中まで劣勢だったとしても、ラストストーン1投で全てひっくり返すこともできるため、カーリングは後攻が有利だ。
●主な声かけの種類
イエス/ヤー/ヤップ | 掃いて |
---|---|
クリーン | ごみを掃く程度に軽く掃いて |
ハリー/ゴー!ハリー!ハード! | もっと速く強く掃いて |
ウォー | 掃かないで |
オフ | アイスからブラシを離して 絶対に掃かないで |
●日本におけるカーリングのルーツ
北海道の常呂町とカナダのアルバータ州が姉妹都市だった関係で、1981年にカナダの世界チャンピオンが来日。カーリングの講習会を催した際に、常呂町から町民有志3名が参加しカーリングを習うことになった。そのうちの1人だった小栗祐治さん(故人)が町に広めたのが日本としてのカーリングの始まり。
当時のリンクは屋外に水を撒いて氷を作り、道具はブラシとして「コーンブルーム」という部屋や庭の掃除に使うようなほうき、ストーンの代わりにプロパンガスのボンベをつぶしたものなどを使っていた。
「最初は農家の人が多くやられていましたね。農閑期のレクリエーションや健康な体づくりの一環として行われていましたよ」(敦賀さん)
その後、NHK杯を観た北海道知事が「これは面白い」と興味をもったことがきっかけで、はまなす国体(第44回国民体育大会)のデモンストレーション競技として採用された。その会場として常呂町に日本初のカーリング専用リンクができ、そこからじわじわと愛好者のすそ野が全国に広がっていった。
●選手の普段のトレーニングとは
試合の体力づくりのためのランニングや筋肉トレーニングなどのほかに、体幹トレーニングを重視している。
「おへそに力を入れて、体の中心に神経を集中させながらいろんな動きをします。日ごろから体の中心に重心をもっていく練習をしていれば、カーリングでどんなフォームをしていても崩れずに安定するんですよ」(敦賀さん)
Ⅲ.<敦賀信人さんが教えてくれた>
カーリングを10倍楽しむ観戦ポイント
2021年12月から、世界各地でカーリングの国内大会や世界大会が行われます。試合観戦で注目すべきポイントや、今季注目される日本チーム・選手について、敦賀さんにご紹介いただきました。これを読めばカーリング観戦がもっと楽しくなる!
観戦のポイント①:作戦の組み立て
――初心者が試合観戦で注目すべきポイントは何でしょうか。
最終的に真ん中を取ったチームが勝ちなのですが、そこに至るまでにはいろいろな作戦があります。わざと初めから真ん中に入れずに、壁となるガードを置いたり、相手のストーンの後ろに回り込んでテイクアウト(相手のストーンにぶつけてハウスの外に出すショット)されにくくしたり。スキップの最後の1投だけに注目されがちですが、その前には「セットアップ」といっていろいろな作戦の組み立てがあるので、そこに注目してほしいです。
観戦のポイント②:「もぐもぐタイム」
――休憩中に、なぜ「もぐもぐタイム」があるのでしょうか。
試合が約2時間半ととても長く、バレーボールの1試合と同じくらい体力を消耗します。スイーパーはブラシに全体重をかけて移動するので、すごくきついです。ハーフタイムは7分。その間に選手は水分、糖分、果物などを取って英気を養います。
観戦のポイント③:注目すべき日本のチーム・選手
女子チーム「ロコ・ソラーレ」
――「ロコ・ソラーレ」はどんなチームですか。
ロコ・ソラーレがすごいなと思うのは、練習の時もいつもうるさいくらい笑っているところ。そして普段の雰囲気をそのまま世界選手権などの世界大会にもっていく。メンバーがミスしてもにこにこ笑っています。メンタルが重要なカーリングで、声掛けと笑顔は大事ですね。
――中でも注目される選手について教えてください。
常に前向き、ポジティブな考えをもっているのがサードの吉田知那美選手です。僕もずっとスキップをやってきて思いますが、サードはスキップの考えをあまり否定しない選手の方がいいんですよ。吉田選手は相手のことを否定しないし、スキップの藤澤五月選手が弱気になったときに、言葉でチームのムードを上げる力があります。2014年、所属していたチーム「北海道銀行」から戦力外通告を受けて、続けるか辞めるかというところまでいって、苦労してきた選手だと思います。そういう辛さを分かっているだけに、頑張ってほしい。
男子チーム「コンサドーレ」
――「コンサドーレ」はどんなチームですか。
個々の技術は国内でナンバーワンだと思います。投げるのが上手いのが松村雄太選手や清水徹郎選手、いろんな作戦や知識をもっているのが阿部晋也選手です。阿部選手は1996年に僕のチームメートとして日本選手権で優勝。ところが長野オリンピック出場のメンバーに選ばれたのが僕、選ばれなかったのが彼でした。年齢的にも今年最後かなと決めているくらいの覚悟でいると思います。誰よりも世界大会に対する気持ちが強い選手です。英語も堪能で、カナダのナショナルコーチと通訳を使わずに直接コミュニケーションがとれるのも強いと思います。チームの悩みをメンバーだけで解決できないとき、コーチに吐くことが重要です。それができるのが阿部選手なんですよ。
ミックスダブルス 松村千秋・谷田康真ペア
――松村千秋・谷田康真ペアの特徴について教えてください。
2人は相性がいい。カーリングは4人より2人の方が難しいです。話しかけるのもかけられるのも1人しかいないので、そこでけんかになってしまったら終わりですよ。そんな中、代表決定戦で優勝できたのは大きいと思います。
――谷田康真さんはどんな選手ですか。
谷田選手は大学4年の時に「コンサドーレ」に呼ばれて、それまでずっと一緒にやってきたチームからコンサドーレに移りました。移籍について批判する人もいましたが、残されたメンバーも応援してくれていましたし、その後すぐに世界で活躍する選手になりました。結果として良い選択だったと思います。
――松村千秋さんはどんな選手でしょうか。
松村選手は女子チーム「中部電力」に所属する選手で、ソチ、平昌、今年の北京と、日本代表決定戦でオリンピックの出場権を逃してきました。チームで出場できなかった中、今年ミックスダブルスでやっと勝つことができて、すごくうれしかったと思いますよ。松村家はカーリング一族なんです。最終戦はお兄さんの松村雄太選手と吉田夕梨花選手のペアと対戦して勝ったので、自信になったと思います。
【取材にご協力いただいた施設】
軽井沢風越公園アイスパーク
https://www.kazakoshi-park.jp/ice-park/
〒389-0113
長野県北佐久郡軽井沢町発地1154-1
※記事の情報は2021年12月7日時点のものです。
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【PROFILE】
敦賀信人(つるが・まこと)
カーリング男子元日本代表。漁師。
1977年、北海道常呂町(現北見市常呂自治区)生まれ。中学1年生でカーリングを始め、翌年1992年の世界ジュニアカーリング選手権で優勝。日本カーリング選手権では1996年~1999年まで4連覇を達成。1998年の長野オリンピックでは、弱冠20歳にして日本代表のスキップ(主将)で出場し、チームを5位に導いた。北海学園北見大学を卒業後、北見市常呂町のカーリングチーム「アイスマン」のスキップとして、2010年~2012年まで日本カーリング選手権で3連覇を果たした。2013年、現役引退を表明。現在、漁業を営む傍ら、男子チーム「常呂ジュニア」のコーチとしてジュニア選手の育成に務めるほか、名寄市立大学の特命教授として学生への講義と指導、テレビ等での解説などカーリングの普及活動に尽力している。
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