スポーツ
2024.03.19
小田恵里花さん クリケット女子日本代表選手〈インタビュー〉
小田恵里花|新しい五輪競技「クリケット」。1試合に1回のチャンスの中、ストーリーを自分で作っていくのが面白い
2028年ロサンゼルス五輪の追加競技のひとつにクリケットが加えられました。クリケットは海外ではサッカーに次ぐ競技人口があるともいわれていますが、日本ではまだ馴染みが薄いスポーツです。この競技に打ち込む日本代表選手の小田恵里花さんに、栃木県の佐野市国際クリケット場でインタビューしました。
写真:山田 健司
国際オリンピック委員会は、2023年秋に開いた総会で、2028年ロサンゼルス五輪の追加競技に「クリケット」を含めることを承認した。クリケットは1900年の第2回近代五輪以来128年ぶりの復活。発表の瞬間は、栃木県佐野市の日本クリケット協会の本部でも、協会幹部や日本代表選手が歓喜にわいた。そのときのことを「めちゃめちゃ嬉しかった」と振り返るのが、クリケット女子日本代表の中心選手の一人、小田恵里花選手だ。小田選手に、クリケットの選手となった経緯や、選手生活にかける意気込みを聞いてみた。
やり投げ選手から、長いブランクを経てスポーツに復帰
――小田さんは、どういう経緯でクリケットの選手になったのですか。
小学生のときは地元の栃木県で少年野球のチームに入って軟式野球をしていました。私は男の子に交じってもチームで2番目くらいに背が高くて、ピッチャーをしていました。全国大会で優勝するくらい強いチームで、今思えば練習はきつかったですが、小学生だったから純粋すぎて、ただついていくのに必死でした。
――中学ではどんなスポーツをやっていたのですか。
中学に入ってもそのまま男子と野球を続けていました。中学まではなんとかついていけて、私が女子だと気づかれないくらい、レギュラーとして交ざってましたが、その先はだんだん男子にはかなわなくなってきます。高校では、陸上競技の強豪校の先生に肩の強さをかわれ、「一緒に日本一になろう」と声をかけてもらって、やり投げを始めました。
高校、大学とやり投げを本気でやって、学年を重ねるごとに、面白いぐらい記録が伸びました。でも大学卒業後に陸上競技一本でやっていけるのは本当にひと握りの人です。仕事をしながら時間をみつけて、社会人としても競技を継続できるかなと期待していたんですが、難しかった。慣れない社会人生活で、気持ち的な余裕とか、競技でもっと上に行きたいというパッションが、完全に仕事に吸い取られたような状態になって。この試合で引退するぞみたいな決意もないまま、いつの間にか自然に引退していたんですよね。20代後半になるまでずっと、スポーツから離れました。
――しばらくスポーツにブランクがあったのですね。
ご縁があって、今勤めている脊髄損傷者専門のトレーニングジム「J-Workout」で、一生歩行不可能だといわれた方に対するリハビリの仕事に従事するようになって、本当にやりがいのある仕事でのめり込んでいたんです。でも27歳くらいになったときに、私自身も何か新しいチャレンジができないかな、という気持ちがだんだん膨らんでいきました。もう一回スポーツで挑戦したい、と思いはじめて、趣味とかではなく、日の丸を背負って国際試合で活躍することを目指せるスポーツはないだろうかとアンテナを張るようになったんです。
そんなとき、たまたま書店で「世界のスポーツの競技人口ランキング」というのを見たら、クリケットがサッカーに次いで2位だと紹介されていた。不思議でしたね。クリケットなんて聞いたことがないし。急いでネットで調べてみました。日本クリケット協会のウェブサイトを見たら、ナショナルトライアルが1カ月後にあって、「他競技からの参戦も歓迎」と書いてある。それで、ブランクもあるしクリケットもよくわからないけど、トライしたのがきっかけです(笑)。29歳のときです。
クリケットは、13世紀頃に英国で始まったとされ、野球の原型とも言われている競技。11人対11人、バットでボールを打ち、点を取りあう。野球でいうイニングは1回の表裏だけ。野球でいうファウルはなく、360度どこへでも打てる。ウィケットと呼ばれる3本の柱に投球が当たったり、守備側が飛球を捕球するとアウト。英国、オーストラリア、インド、南アフリカ、西インド諸島などの英連邦諸国を中心に人気を誇り、4年に1度ワールドカップも開催されている。競技人口はサッカーに次ぎ世界2位の約3億人とも言われる。近年は日本でも「クリケットのまち」や競技拠点が、 栃木県佐野市、東京都昭島市、千葉県山武市、神奈川県川崎市、静岡県富士市、大阪府貝塚市、宮城県亘理町などに広がり、 競技人口が増加している。
日本代表選考会ということですから、真面目にやってきた選手ほど、「私なんか力及ばない」と実力を推し量るようなことをして、チャレンジしない選手もいるのかもしれません。でも私はまっさらですから、ルールも知らないけどチャンスがあるならやってみよう、それに行けばどんな競技かわかると思って、迷うことなく申し込みました。
トライアルでは、何をやっているのかもわからない。いきなりバットを持たされたり。自分のバットも持っていなかったので、周りにいたプレイヤーにバットを借りました。結果は補欠。ただレベルの向上次第で代表入りの可能性もあるとのことでした。
――それで、クリケットの魅力に目覚めたというわけですね。
いえ、面白いと感じるようになったのは少し後です。選考会のあと、すぐに国内の女子リーグのクラブチームに入りました。今でこそ、アクセスのいい場所にある専用のグラウンドで試合ができますが、当時は東京・青梅市の空き地みたいなところでやっていました。都心からも遠いし、見ている人もいない。メンバー集めもすごい大変そうだし......本当にみんな好きでやっているんだなって感じです。世界では競技人口が多いっていうことを実感できないくらい、国内だったらこんな感じなんだっていうのを、クラブに入って初めて知りました。でも試合に出ながらルールを覚えていくうちに、面白そう、もっと上手くなれそう、と思うようになってきました。
――身体は動いたんですか。
かなり苦しかったですね。まず身体を動かす感覚を取り戻すとこからはじめないといけない。安易に飛び込んだように聞こえるかも知れませんが、そのときは、やるんだったら徹底的にやる覚悟で挑んでいたので。
ニュージーランドで武者修行しレベルを上げる
ナショナルトライアルに挑戦したのは2017年3月。同じ年の9月、小田さんは早くも日本代表として選出されるが、香港で行われた第2回女子東アジアカップではほとんど出場機会もなく、帰国する。
初めて日本代表に選出された第2回女子東アジアカップでは、守備中心の交代要員で、バッティングしても1ランもとれませんでした。この大会がきっかけで「いちど本場の国でクリケットをやりたい」と思うようになりました。
冬のあいだ南半球に行けばシーズンなので、ニュージーランドへ、トータルで6カ月行きました。勤め先と交渉して、遠征先でもリモートで仕事したり。また、何とか最低限のお給料はもらえるよう、アスリート休暇制度というのを作ってもらいました。今もですが、会社の理解がなかったら続けられなかったと思います。
――ニュージーランドでプレイした印象はいかがでしたか。
週3回ほど午後5時から集まり練習するアマチュアのクラブチームに参加していたのですが、モチベーションの高さに驚きました。
車を10分も走らせればどこかしらにクリケットグラウンドがあったり、子どもたちがおもちゃのバットを持ってクリケットをしていたり、クリケットのカルチャーショックをたくさん受けました。日本で知られていなくても世界で人気の競技を私はやっているんだ、という誇りになりました。
日本の1シーズンで出られる試合数をニュージーランドでは1カ月でこなすことができたので、滞在した6カ月でめちゃくちゃ競技のレベルが上がったと思います。バッティングの順番も絶対に回ってくる4番、5番にいるようになって、「来年も来るなら飛行機代は持ちます」と言ってもらえるレベルまで上達したので、すごく自信ができて。もしできるなら、南半球と北半球を移動して1年中夏、クリケットをする生活を続けたいなと思いました。
バッターはアウトになるまで、何時間も点を取り続ける
打者であるバッター・ストライカーの打ち返した球が観客席までノーバウンドで飛んでいく「6ラン」の軌道は爽快そのもの。だがクリケットの「攻撃」側であるバッターのミッションは、得点(ラン)を稼ぎつつ、ウィケット(野球でいえばキャッチャーの位置に立つ3本の柱)にボールを当てられないように「守る」ことにある。一度でもボールを当てられると「アウト」となり、その選手にバッティングのチャンスは二度と巡ってこない。アウトとならない限り、バッターは何点取ってもバッティングを続けられる。一方、「守備」側のボーラー(投手)は、ウィケットをめがけて「攻める」。野球とは正反対のイメージだ。
――小田さんはバッターとして活躍されていますよね。助走をつける投げ方はやり投げと似ていますし、ボーラーの方なのかなとも思いましたが......。
初めは両方の練習をしていました。でも野球を長くやっていたので、どう頑張っても投げるときに肘が曲がってしまって(肘は伸ばしたまま投げることがルール)。バッティングの方に力を入れているうちに、バッターに特化した選手になりました。
2018年5月にバヌアツで女子ワールドカップの東アジア太平洋予選があって、そこで初めて補欠ではないメインのバッターとして代表戦に出ました。スコアも取れてバッターとしての役割が少し果たせるようになり、確実に上達していると実感しました。
そのころから、国内でも試合回数を増やしたいと思って、男子リーグにも参戦するようになりました。男子リーグはインドやスリランカ、パキスタンといった、クリケットが盛んな国から仕事で日本に来ている海外選手が多いんです。彼らは自分たちを「血液がクリケットでできている」と表現するぐらい小さなころからプレイしているので、本能的にできるレベルです。
――男子のリーグで、バッターとしてさらにレベルを上げていったのですね。
初めは、いい球が来たら大きいショットを見せてやろうとか、守備が内野に寄っていたらそこを越えるように打とうとか、相手のパワーに対してむきになって、相手の思惑通りすぐにアウトになっていました。東京から3時間かけて佐野のグラウンドまで試合しに来たのに、1球でアウトになって帰るようなことが連続して......得点でチームに貢献するチャンスは1試合で1回しかないのに。本当に残酷なスポーツだと思いました。そこで気持ちよく打つだけがバッティングじゃないとわかってきました。時には打たずに我慢して、チャンスが来るのを待つんです。クリケットの文化圏では「Keep calm and play cricket」ということわざがあるんですが、長く打つための「カルムさ」をそこで身につけた気がします。
女性の力でも、男子の球の速さを利用することで6ランも打てます。でも力に対して力で返そうとすると失敗ショットになる。上手な選手はやる気がないような構え方で、リラックスしてバットを振って、それでもずっと打ち続けてる。球のとらえ方とタイミングが大事だとか、男子リーグに参加して、とにかく気付きが多かったですね。
――クリケットの魅力、面白さはどういう点でしょうか。
魅力がありすぎてひとつにまとめるのは難しいですが、ほかのスポーツと違うところで一番インパクトがあるのが、クリケットはアウトになるまでチャンスが続くということです。そのなかで自分で作っていくストーリーみたいなものが、とにかく面白い。打ち返したボールが遠くに飛ぶと爽快なのはもちろんですが、そのバッティングを打つまでに、「守り」と「攻め」のバランスで、バッティングスタイルが変わっていきます。
上手い選手だと、1人で数時間打ち続けて、何百点も取ることもできます。焦る必要のない場面では、いい球が来たら相手をリスペクトして自分を守ることも必要。そうかと思えば、相手の失投や、いけると思った球には、大きいショットを狙って飛ばしたり......時にはリスクを冒して挑戦するタイミングを計ったりと。距離だけじゃなく、飛ばす方向も360度自由なので、守備側も攻撃側も、チームで戦略的に考える力やそれを実現するスキルが求められます。
チームスポーツだけれど、バッティングだったら11人に囲まれた中で2人で打って、アウトになるまでは1人でずっと戦い続けられる。その時間はずっと自分とボーラーとの闘いになるので、個人競技の要素も強い。自分が上達したことが試合で実感できて、直接チームの勝利に関われる。一人一人の結果のトータルでチーム力が出てくるところが魅力だと思います。
――海外では、スタジアムの雰囲気はどんな感じなのでしょうか。
海外では、観客のボルテージがすごいんです。国同士の代表戦になると、インドの応援団なんかは6時間とか立って、ダンスしながら応援したりしています。
一方で、イギリスでは緑色の芝に観客は寝転んだりお弁当を持って来ていたり、ピクニックをしながら1日中クリケットを眺めているような光景もあります。スポーツを見に来るというよりは、生活の一部のような雰囲気で見られるのもクリケットの魅力です。
クリケットはとても魅力的な競技。これをもっと広めたい
――女子リーグの方では、小田さんはクラブのキャプテンもしていますよね。
キャプテンをしながらチームのマネジメントもさせてもらってます。はじめはメンバーが3~4人しかいなかったので、大学時代の友人に声をかけて未経験者を誘ったり、試合の機会が少ない大学生に声をかけたりしていました。そのころ、男子リーグには外国人選手が多いのに、女子リーグはほぼ日本人で選手層が薄かったので、外国人男子選手の奥さんを誘って試合に出てもらいました。さらに彼女たちが同じ国出身の友人を誘ってくれて、一気に大きくなっていきましたね。
――日本代表としての意気込み、また小田さんご自身の目標を教えてください。
日本代表としては、ランキングを上げたいですね。今女子は世界で60番ぐらいなので、簡単ではないですが、30番ぐらいには上げたいです。そのために、国際試合をやる機会を増やさなくてはいけない。私も試合で貢献していきたいです。
私はクリケットを始めたのが29歳と遅いので、もう少し早く出合えていればという気持ちはどうしてもあります。始めた当初は「クロリケット」と言われたり、ラクロスと間違えられたりしていて、競技が知られる機会がそもそも少ない。オリンピックの種目になったので、当時よりは知名度も上がったと思いますが、クリケット先進国と比べると雲泥の差です。
たとえば2024年1月に行った南アフリカでは、クラブチームが自分のスタジアムを所有していたり、プロで雇われている選手がいたりします。日本にもプロリーグが存在したら、人に見せるスポーツになったり、クリケットで食べていける可能性が出たり、次の世代を刺激しやすくなると思います。
自分の力が通用する可能性のある競技としてクリケットを始めましたが、ここまで続けてこられたのはクリケットがとても魅力的な競技だったからです。「もっと早くクリケットと出合えていたら」と思うプレイヤーが出ないように、スポーツのプロモーションも学んで、知る機会を作る活動もしていきたいと思っています。
※記事の情報は2024年3月19日時点のものです。
-
【PROFILE】
小田恵里花(おだ・えりか)
栃木県出身。小中学校では少年野球に打ち込み1999年には「第21回全国スポーツ少年団軟式野球交流大会」にて全国制覇。高校から陸上競技のやり投げに打ち込み、栃木県立真岡女子高等学校、日本体育大学時代には多数の競技大会に出場した。大学卒業後クリケットに転向、2017年3月にクリケット日本女子代表選考会に参加、同年9月の第2回女子東アジアカップ (香港)の日本代表に選ばれた。日本女子クリケットリーグの川崎ナイトライダーズ所属。
RANKINGよく読まれている記事
- 2
- 筋トレの効果を得るために筋肉痛は必須ではない|筋肉談議【後編】 ビーチバレーボール選手:坂口由里香
- 3
- 村雨辰剛|日本の本来の暮らしや文化を守りたい 村雨辰剛さん 庭師・タレント〈インタビュー〉
- 4
- インプットにおすすめ「二股カラーペン」 菅 未里
- 5
- 熊谷真実|浜松に移住して始まった、私の第三幕 熊谷真実さん 歌手・女優 〈インタビュー〉
RELATED ARTICLESこの記事の関連記事
- 敦賀信人さんに聞く! カーリングの魅力とルール解説 敦賀信人さん カーリング男子元日本代表〈インタビュー〉
- 世界チャンピオンを目指す最年少プロ。ビリヤードの楽しさを広めたい 奥田玲生さん ビリヤード選手〈インタビュー〉
- 眠っているグローブを再生して、次につなげる。循環型ビジネスで野球界を盛り上げたい 米沢谷友広さん グローバルポーターズ株式会社 代表取締役〈インタビュー〉
- ただ野球が好きだから。素晴らしき草野球の世界 草野球チーム「アペックス」〈インタビュー〉
- 野球と歌で「笑顔の連鎖」を起こしたい 冨山議慎さん 草野球監督・シンガーソングライター〈インタビュー〉
- プロ野球選手に愛される"グラブの神様"。野球を支えるプロの技 江頭重利さん 久保田スラッガー グラブ型付け師〈インタビュー〉
NEW ARTICLESこのカテゴリの最新記事
- 山内鈴蘭|ゴルフの素晴らしさをもっと伝えたい! 山内鈴蘭さん タレント〈インタビュー〉
- 統計と客観的なデータの分析でスポーツの未来を切り拓きたい データスタジアム株式会社〈インタビュー〉
- 決められたことを毎日続ける、メンテナンスをきちんとできる選手が長く活躍できる【坂口由里香×橋本... ビーチバレーボール選手:坂口由里香
- アスリートはオフの日でもグリコーゲンを満タンにしておくことが大切【坂口由里香×橋本玲子 対談 ... ビーチバレーボール選手:坂口由里香