甲州市塩山から世界を驚かすワインを! キスヴィンワイナリー醸造責任者、斎藤まゆ氏の挑戦

斎藤まゆさん ワイン醸造家〈インタビュー〉

甲州市塩山から世界を驚かすワインを! キスヴィンワイナリー醸造責任者、斎藤まゆ氏の挑戦

世界ワイン界のカリスマ、故ジェラール・バッセ氏が「ユニークでセンセーショナル」と絶賛した「キスヴィンワイン」。山梨県甲州市塩山の「キスヴィンワイナリー」は、スタッフわずか6名、醸造所はブドウ農家の荻原康弘氏の実家の車庫を改修した小さなスペース。醸造責任者に斎藤まゆ氏を招き、2013年に本格稼働。ブドウ作りから醸造までの悪戦苦闘と工夫の成果は、海外のバイヤーもうならせ、ANA国際線ファーストクラスのサービスワインにも選ばれるなど、内外から高い評価を集めています。

文/井上 健二
写真/金澤 篤宏

偶然が重なり、世界に注目されるベンチャーワイナリーに

――キスヴィンが世界の表舞台に立つきっかけとなった、英国のジェラール・バッセさんとの出会いから教えてください。


 バッセさんは世界最優秀ソムリエでマスター・オブ・ワインでもある鉄人なのに、勉強熱心でOIV(国際ぶどう・ぶどう酒機構)の学習プログラムに参加して新しいワイン産地を巡っていました。その一環で日本にやって来ることになり、たまたま私たちのワインを好きな方が推薦してくれたので、東京で会食する機会に恵まれました。2017年のことです。


 最初、うちのブドウ栽培責任者である荻原康弘のところにお誘いのメールが来ました。
荻原は生粋のブドウ農家で、興味があるのはワインよりブドウ。ワイン雑誌も読まないし、ソムリエ業界にも疎いから、バッセさんの名前すら知らなかった。
「まゆ、まゆ、バッセとかいう人とディナーできるらしいけど、どうする?」と突然聞いてきたので、「バッセを知らないの? 馬鹿じゃないの! 絶対行くわよ!」と即答しました(笑)。
 絶大な影響力を持つバッセさんに会い、私たちのワインが万一褒められるようなことでもあれば、一介のベンチャーワイナリーが世界から注目されるチャンスになると心が踊りました。


キスヴィンのブドウ畑。これはシャルドネキスヴィンのブドウ畑。これはシャルドネ


――千載一遇のチャンスだと思うと、緊張しませんでしたか?


 めちゃくちゃ緊張しました。なけなしの勝負服を着て準備万端整えたはずなのに、あまりに緊張しすぎて名刺を忘れちゃって。山梨から東京へ向かう特急列車で気づいて焦りました。しかもトラブルで列車が遅れて、会食に遅刻するのが確実になり、途中でヤケになって荻原と二人で車内販売のビールを買って飲み始めました(笑)。


――絶体絶命ですね。


 ところが、財布の中をよくよく探したら、奥から3枚だけ名刺が見つかったんです。列車もその後は順調に運行してくれて、ディナーにもそんなに遅刻しませんでした。
 遅れてきたくせに、荻原をちゃっかりバッセさんの真正面に座らせて、私はその横に座りました。合コンでも、お目当ての斜め前に陣取るのが最強だって言うじゃないですか(笑)。
 名刺を誰にも渡さず自己紹介した後、ワインを飲んだバッセ氏に「名刺をくれる?」と聞かれました。その絶妙なタイミングで私たちの「キスヴィン 甲州スパークリング」が出て、バッセさんが「あ、なかなかいいじゃない」と認めてくれて。そこから「これをあなたたちが造っているの?」という話になり、会話が始まりました。


あのバッセ氏に認められた「キスヴィン シャルドネ」(左)と「キスヴィン ピノ・ノワール」。ブドウ作りから手掛けている(photo/Kisvin Winery)あのバッセ氏に認められた「キスヴィン シャルドネ」(左)と「キスヴィン ピノ・ノワール」。ブドウ作りから手掛けている(photo/Kisvin Winery)


 私も緊張が解けてリラックスしてきたときに、私たちの「キスヴィン シャルドネ」が出ました。バッセさんはひと口飲んだ瞬間、顔色がみるみる明るくなって「何、これ。すごくおいしいじゃん!」と褒めてくれました。すかさず私が「うちのワイナリーは、東京から1時間半だけど、明日見に来ない?」と誘ったら、「もちろん!」と即答してくれました。


――大病を患っていて体調は決して万全ではないのに(2年後の2019年1月に末期の食道がんで逝去)、バッセさんは山梨まで足を運んでくれたんですね。


 はい。翌日一緒にワイナリーまで来てくれて、ワイン畑を回り、発売直前だった「キスヴィン ピノ・ノワール」を試飲してくれました。すっかり気に入ってくれて、自らのSNSで「才能豊かな醸造家が造ったこのワインは、ユニークでセンセーショナル」と発信してくださった。「あのバッセが褒めた」ということで世界中にキスヴィンの名前が広がり、ワインメディアでニュースとして取り上げられました。
 決してうちのワインが偉大だったというわけではなく、バッセさんが偉大だったのです。バッセさんとの出会いについては、いつか自分の筆で文章にしたいと思っています。




日本はワイン造りに決して不向きな場所ではない

――世界的に見て、日本はワイン産地として認知されているのでしょうか?


 日本メディアには、「日本のワインは世界から注目されている」といった記事がよく載っていますが、それは必ずしも実情を反映しているとはいえません。どちらかというと、「ヘー、日本でもワインを造っているの? 知らなかった!」という感想が大半だと思います。


ワイナリーから車で5-6分のところにある自前のブドウ畑(山梨県甲州市塩山)ワイナリーから車で5-6分のところにある自前のブドウ畑(山梨県甲州市塩山)


――やはり、日本はワイン造りには向かないアウェーな場所なのでしょうか?


 ワイン産地で、何も苦労せずに造っているところは世界中のどこにもありません。それぞれにおいしいワインを造るという強い意志とワインを愛する気持ちがあり、どうやったらおいしく造れるかについて知恵を絞っています。日本は雨が多いから不利だとよく言われますが、私が修業したフランスの銘醸地ブルゴーニュだって春に遅霜が降りたり、5月に巨大な雹(ひょう)が降り積もって畑が壊滅したりすることがあります。


――日本が特別ワイン造りに向かないというわけではないのですね。


 私はそう思っています。日本=ワイン造りに不利・不向きというイメージが先行しているのは、要するに誰もが素直に納得するおいしいワインが出ていないから。バッセさんがうちのワインに感激してくれたように、誰もが「何これ、おいしいじゃん!」と心を動かせるようなワインが日本で造れたら、そうした偏見は打ち破れます。
 逆に日本でワインを造るメリットだってあるんですよ。


ブドウ農家の荻原社長の実家の地下室を貯蔵庫に使用ブドウ農家の荻原社長の実家の地下室を貯蔵庫に使用


小規模のワイナリーのため、作ったワインの大半は短期間で売り切ってしまう小規模のワイナリーのため、造ったワインの大半は短期間で売り切ってしまう


日本は決してワインづくりに不向きな場所ではない日本は決してワイン造りに不向きな場所ではない


――日本でワインを造るメリットとは?


 ワイン造りの歴史が長いフランスには、1ヘクタール当たりに植えるブドウの樹の本数、樹の高さ、畝(うね)の間隔などに細かい規則が定められています。経験上、それが最適だと考えられているからでしょう。日本ではブドウ栽培に過剰な規制がない分、新しい試みが自由に行えます。それは日本でワインを造るメリットになり得ると私は考えています。
 だから、「大変なところでワインを造っていますね」と言われるのが、すごく悔しい。そう言わせないようなおいしいワインができてない証拠ですから。世界を驚かせるようなおいしいワインを造るのが私の究極の目標です。


――その目標は、現在どの程度達成できているのでしょうか?


 う~ん、それは答えるのが難しい質問ですね(笑)。
 私は海外の造り手を訪ねるときは、必ず自社のワインをお土産に持参します。すると手放しで「おいしい! こんなワインを造っているなんて、君たちは素晴らしい」と褒められる機会が増えました。
 買う人でも、評論家でも、売っている人でもなく、ワイン造りの難しさを一番よく知っている造り手たちにアピールする力が備わってきたと分かり、すごくうれしく思います。
 バッセさんの情報発信がきっかけとなり、海外のバイヤーの問い合わせも増えましたし、海外への輸出も始めています。コロナ禍の前は、ネットなどで調べたのか、ドイツ、イタリア、アメリカといった海外からの個人旅行者も、わざわざやって来るまでになっていました。
 そう考えると100点満点とはいえませんが、道半ばの50点までは到達しているかな。




おいしいワイン造りの鍵は、ブドウ畑にある

キスヴィンの名前の由来は「ブドウ畑にキスしたくなるほどのブドウ好きの集まり」キスヴィンの名前の由来は「ブドウ畑にキスしたくなるほどのブドウ好きの集まり」


――キスヴィンのワインの素晴らしさを支えているのは、何ですか?


 それは畑。ブドウ畑です。荻原が作るブドウは、本当においしい。私も含めて、うちのスタッフは荻原のブドウのおいしさに魅せられて集まったようなもの。当たり前ですが、おいしいワインは、おいしいブドウからできるのです。
 私は醸造家ですが、「こういうワインのためには、こんなブドウがいる」と荻原に伝えて、ワインから逆算したブドウ作りを行っています。私も醸造所にいる時間よりも、畑にいる時間をもっと増やしたいと思っています。


――そもそもキスヴィンとは、「ブドウ畑(ヴィンヤード)にキスしたくなるほど、ブドウが好きな人たちの集まり」という意味だそうですね。


 ワイナリーの前身となる研究会のメンバーが、そんな意味を込めて名付けました。荻原のブドウ作りは長年の経験に加えて、ブドウの生育に関する植物生理学、土壌分析装置を用いた土壌の細かな分析といったサイエンスがベースになっています。


――どんなブドウを育てているのですか?


 全部で4ヘクタールの畑で育てているのは、白ワイン用のシャルドネ、甲州、赤ワイン用のピノ・ノワール、シラー、ロゼ用のジンファンデルなどです。


試行錯誤を経て、現在は「棚仕立て」を最新技術のキスヴィン流にアレンジして栽培している試行錯誤を経て、現在は「棚仕立て」を最新技術のキスヴィン流にアレンジして栽培している


――ワイン用のブドウ畑というと、垣根のように低く仕立てる「垣根仕立て」(幹から伸びる主枝を地面と水平に伸ばし、そこから新たな枝を地面と垂直に伸ばす仕立て方)が世界的には主流ですが、キスヴィンの畑は生食用のブドウと同じように棚から房が垂れ下がる「棚仕立て」なんですね。


 日本ではワイン用のブドウも棚仕立てが主流です。


 うちも最初は垣根仕立てで育てていたのですが、地面から虫が這い上がってきたり、雨が降ると泥水が跳ねて実に付いて病気の原因になったり、霜や朝露が降りたりして、デメリットが多かった。そこで棚仕立てに変えました。
 棚仕立てなら、前述のようなデメリットはありませんし、風通しが良くなり、棚で茂った葉が直射日光を遮ってくれるので、質の高いブドウが実ります。


――先ほどシャルドネの畑を見せていただき、想像以上に粒が小さくて驚きました。


 うちはシャルドネ以外も、果粒(ブドウの粒)は小さめ。荻原に頼んで、小さく作ってもらっているのです。


――それがワインの味わいに関係しているわけですね。


 もちろんです。果粒が小さいブドウの方が果皮の割合が高まり、果皮に由来する旨味がジュースに残りやすくなります。果粒が1mm小さくなるだけでも旨味は増します。収穫後、実離れが良くて機械で加工しやすいという利点もあります。


ブドウの粒(果粒)のサイズはわざと小さめに育てるブドウの粒(果粒)のサイズはわざと小さめに育てる


――どうやれば、ブドウの粒は小さく育てられるのですか?


 それはちょっと言えないなぁ(笑)。
 荻原はもともと食べるための生食用のブドウを作っていました。生食用のブドウは粒が大きくて硬くて歯ごたえがあり、甘いものが求められます。ですから、大きな粒を作るにはどうすればいいかを熟知しています。要は、その逆をやれば小さくなるわけです。




地元のライバルを驚かせた「キスヴィン エメラルド甲州」の誕生秘話

――畑を案内してもらって驚いたのは、生食用のブドウと同じように、ひと房ずつ、紙などでカバーする傘かけが行われていたことです。


 傘かけには、大きく2つの意味があります。直射日光を和らげることと、雨露をブドウの実に直接当てないことです。


傘をかけ直射日光を遮り穏やかにじっくり育てる。写真は甲州種。傘がない方は紫色を帯びている傘をかけ直射日光を遮り穏やかにじっくり育てる。写真は甲州種。傘がない方は紫色を帯びている


 通常、日光が当たって温度が上がると、ブドウの酸が消費されます。傘で直射日光を遮ると、甲州らしい美しい酸が残せるのです。
 例えば、甲州の果皮は美しいエメラルドグリーンですが、日光を当て過ぎて熟してくると果皮が紫色を帯び、フェノール類が増えて苦味も出てきます。傘かけをすると果皮が紫色にならずに糖度が高まり、甲州らしい独特の色調を持つエメラルドグリーンのワインが出来上がります。


傘の材質は試行錯誤を経て現在の特注品にたどり着いた傘の材質は試行錯誤を経て現在の特注品にたどり着いた


 うちのブドウは他と比べると収穫のタイミングが全体的に遅めですが、中でも最後に収穫するのが甲州。日光を当てない分、ブドウはゆっくり時間をかけて熟していくからです。
 また、水分がブドウの実に直接触れると、そこから傷んだり、病害虫が発生したりするきっかけとなります。傘かけはそれを防ぐことができるのです。
 傘も最初はクラフト紙製の市販品を使っていましたが、現在は加工業者さんと協力してプラスチックに特殊なコーティングを施した特注品を用いています。


――キスヴィンの成功を見て、真似するワイナリーも増えたそうですね。


 真似してもらうのはウェルカム。いいことはどんどん共有して、この地域のブドウとワインの質を互いに高めていきたいと思っています。それにどんなに真似されても、その先を行く自信はあります。私たちは年々進化していますから。


 自分たちのワイン造りをあとで振り返って、「あの頃はよくこんな造り方をしてたね。ダサかったなあ」と素直に認められるワイナリーでいたいと思っています。ワイン造りに正解はない。経験を重ね、知識が増えるにつれてアプローチが変わり、ブドウもワインも作り方が変わるのは当然だと思っています。


――この甲州もそうですが、キスヴィンのラベルのデザインはシンプルで上質感もあり、全体的な統一感もあって良いですね。どなたが担当されているのですか。


 大筋のデザインは荻原が考えて、あとはみんなでアイデアを出し合いながら作りました。
 ラベルには、それぞれのワインの色調やイメージを落とし込んでいます。例えば、甲州はブドウ畑から見上げた空の色をイメージしています。ボトルを並べると「大人の色鉛筆みたい」と言われることもあります。並べて見て楽しみ、キスヴィンというワインのイメージを定着できたらいいなと思っています。


「キスヴィン 甲州」(左)と「キスヴィン 甲州 レゼルヴ」(photo/Kisvin Winery)「キスヴィン 甲州」(左)と「キスヴィン 甲州 レゼルヴ」(photo/Kisvin Winery)


 ラベルは実は毎年少しずつ変わっています。表示内容の書き換えをしているだけではなく、ミリ単位でラベルを貼る位置を調整しているのです。毎年買っても、気が付かないくらいの変化だと思いますが......。
 ラベル貼りは1枚1枚手作業で行っています。いつか私たちの望む基準を満たす機械を開発したいところですが、今のところ手作業の方が高品質。私も作業班に入っています。


――ありがとうございます。ラベルはシンプルな良いデザインだと思います。では、次回は、斎藤さんがワイン醸造家の道に入られたきっかけなどについても聞かせてください。


※記事の情報は2020年10月22日時点のものです。


後編に続く



■取材協力
キスヴィンワイナリー(Kisvin Winery)

キスヴィンワイナリー(Kisvin Winery)

所在地:山梨県甲州市塩山千野474

電話番号:0553-32-0003
ホームページ:http://www.kisvin.co.jp/
地図:

  • プロフィール画像 斎藤まゆさん ワイン醸造家〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    斎藤まゆ(さいとう・まゆ)
    ワイン醸造家
    キスヴィンワイナリー醸造責任者

    1980年 福岡県生まれの神奈川県育ち
    2000年 早稲田大学在学中、フランス文学者の加藤雅郁が主宰する「ワイン収穫隊」に参加。フランスの畑と醸造所を巡って感銘を受け、ワイン醸造家を志す
    2001年 早稲田大学を中退。単身渡米し、カリフォルニア州立大学フレズノ校のワイン醸造学科で学ぶ。成績優秀により、同校ワイナリーの醸造アシスタントに抜てきされ、現地学生の指導に当たる
    2007年 ブドウ栽培家荻原康弘の依頼を受けて「Team Kisvin チームキスヴィン」に参加
    2010年 フランス・ブルゴーニュシャブリ地方のドメーヌ・ジャン・コレで研修。滞在は当初2カ月の予定だったものの、実力を認められて1年以上滞在。2回のシャルドネの仕込みを経験。ジャン・コレ当主の勧めで、ドメーヌ・ティエリ・リシューなど2つのワイナリーでピノ・ノワールの醸造を学ぶ
    2013年 キスヴィンワイナリーの醸造責任者に就任
    2017年 ジェラール・バッセがそのワインを激賞。世界から注目される醸造家の一人となる
    2019年 「Kisvin Koshu」がANA国際線ファーストクラスのサービスワインに選ばれる

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