【キスヴィンワイナリー・斎藤まゆ氏】ワインで地域を活性化させて、日本にもっとワイン文化を根付かせたい

斎藤まゆさん ワイン醸造家〈インタビュー〉

【キスヴィンワイナリー・斎藤まゆ氏】ワインで地域を活性化させて、日本にもっとワイン文化を根付かせたい

斎藤まゆさんは大学在学中にワインを愛するフランス文学者との出会いがきっかけとなり醸造家を目指すことになりました。カリフォルニアの大学に入り直しワイン醸造を習得。ブルゴーニュのワイナリー修業を経て、日本に戻り甲州で醸造家に。7年を経たいま、後進の育成にも思いが及びます。ワイナリー経営という視点での教育、ブドウ栽培に関する研究を深めていくことの必要性。そして、ワイン造りを通して地元の役に立ちたいと語ります。

文/井上 健二
写真/金澤 篤宏


前編はこちら

カリフォルニア、ブルゴーニュを経て、甲州で醸造家の道を歩む

――改めて、キスヴィンに参加するまでの歩みを教えてください。そもそも斎藤さんがワイン醸造家を目指したのはどういう経緯からですか?


 私が醸造家を志したのは、大学生のとき。フランス文学者である加藤雅郁先生のフランス語の授業を受けたのがきっかけです。先生は学生たちと共に、「ブドウ収穫隊」を結成し、十数年以上にわたり、フランス各地の醸造所に延べ500人以上の学生を引率してブドウ収穫を行っていました。2000年にこの収穫隊に加わり、現地の生産者の歓待に心が安らぎ、生活に根ざしたワイン文化に惹かれるようになり、日本でも同じようにおいしいワインで人をもてなす側になりたいと考え、醸造家を目指しました。


大学のフランス語の授業で師との出会いが醸造家への道を進むきっかけとなった大学のフランス語の授業で師との出会いが醸造家への道を進むきっかけとなった


――その後、大学を中退してアメリカで醸造を学ぶんですね。


 カリフォルニア州立大学フレズノ校のワイン醸造学科で学びました。ワインの造り方を全く知らない人でも醸造ができるようになるプログラムでした。勉強は大変でしたが、ここで英語を学んだこと、そして単にワインを造るだけではなく、売って利益を出すところまでも学べたことは、私の大きな財産になっています。
 それからフランスに渡り、ブルゴーニュのドメーヌ・ジャン・コレ、ドメーヌ・ティエリ・リシューなどで研鑽を積みました。


――海外で学んだことは、現在のワイン造りにどう活かされていますか?


 基礎の基礎をしっかり学べたのが良かったと思います。
「キスヴィンの醸造上の工夫は何がありますか?」とよく聞かれるのですが、私は基本に忠実にやっているだけ。特に変わったことをしているわけではありません。うちのモットーは、「高品質のブドウができさえすれば、醸造とはシンプルかつ平易なものである」ですから。


 でも、日本では我流でワイン造りをしている方も多いので、私のように基本に忠実にワインを造っているのは、逆に珍しいかもしれません。変化球を試みるのは、基本をやり尽くしてからだと思っています。


恩師・加藤雅郁氏が翻訳した「ワインの真実」(ジョナサン・ノシター著、作品社、2014年)。加藤氏は刊行前に急逝され、斎藤さんが「訳者あとがきに代えて」を寄せている恩師・加藤雅郁氏が翻訳した「ワインの真実」(ジョナサン・ノシター著、作品社、2014年)。加藤氏は刊行前に急逝され、斎藤さんが「訳者あとがきに代えて」を寄せている


――斎藤さんとキスヴィンとの接点はどのように生まれたのでしょうか。


 キスヴィンワイナリーのブドウ栽培責任者でもある荻原康弘社長は、山梨県甲州市塩山のブドウ農家の3代目。2002年からワイン用のブドウを作り始めて、05年に池川仁(池川総合ブドウ園。ブドウ栽培者)、西岡一洋(東京大学大学院特任研究員)らと、醸造用ブドウの勉強会グループ「Team Kisvin チームキスヴィン」を立ち上げました。08年には、シャトー酒折(さかおり)にワイン用ブドウの販売を始め、同年にはシャトー酒折から「Kisvin Koshu 2008」を発売しています。


 自分のブドウの良さを生かしてくれる醸造家を探していた荻原は、ブログを介して私のことを知り、突然「会いたい」というメールを送ってきて、カリフォルニアでまだ勉強中だった私の元を訪ねてくれました。
 ナパを一緒に回ったのですが、荻原はワインよりも畑をずっと見ている人で、畑に落ちている枝を見ては「なぜ切り落としたのか」をつぶやき、地面を眺めては「どんな栽培資材を使っているのか」と考え込んでいました。その姿を見て、日本にこんなに観察眼の優れたブドウ栽培家がいるのかと驚き、07年に「Team Kisvin チームキスヴィン」に参加することを決めたのです。


――日本に戻っていらっしゃったのはいつですか?


 2013 年、荻原の自宅を改造した小さな醸造施設が完成したタイミングで、キスヴィンワイナリーの醸造責任者に就任しました。私が見てきたブルゴーニュやカリフォルニアとは違い、醸造施設も熟成庫も自動車のガレージくらいの広さしかない小さな小さなワイナリーですが、世界を驚かせるワインを作りたいと思っています。


――醸造には国による違いがありますか?


 醸造の技術の基本は変わりがないですね。アメリカ、フランス、日本でワイン作りをしてみて、世界どこの産地でも仕事ができるのが、醸造家という職業の魅力だと感じています。 ブドウの質や法律上の決まりごとが違うので、むろん細かい部分では国ごと、地域ごとで違いが出てきます。例えば、フランスのブルゴーニュの人たちは、補糖や乳酸菌による2次発酵の技術に長けていますし、アメリカのカリフォルニアの人たちは補酸が上手だったりします。


前編で紹介した畑から車で5分ほどでもう一つのブドウ畑に。こちらでは甲州を栽培中前編で紹介した畑から車で5分ほどでもう一つのブドウ畑に。こちらでは甲州を栽培中


――醸造技術のブラッシュアップのために日頃から何かしていることはありますか?


 ワイナリーでの勤務時間外で勉強しています。ワイン本があればつい買いますし、気になることがあればすぐに調べて、国内外の友人や師匠に連絡して聞くようにしています。
 現代は世界のあらゆる場所から本も教科書も論文も簡単に取り寄せられますし、ウェビナー(Web上でのセミナー)なども盛んなので、自分の語学力を駆使して必要な情報をどれだけ取り込み、目の前のブドウやワインに落とし込めるかが求められていると感じています。


 技術だけではなく、感性を磨くことも重要だと思います。そうでないと、飲み手の琴線に触れるワインは造れないのです。そのためには絵画や写真、音楽、スポーツ、映画や演劇など、各分野の本物に触れておくことが大切。若い頃に触れたあらゆる芸術は今の自分を支えていますし、ワイン造りにも確実に生きています。


貯蔵用の樽はフランスや米国から価格を見ながら買い集める貯蔵用の樽はフランスや米国から価格を見ながら買い集める


発酵中の醸造用タンク、1日に2回、ポンプを使って下部から上部に入れ替えて撹拌する発酵中の醸造用タンク、1日に2回、ポンプを使って下部から上部に入れ替えて撹拌する




――キスヴィンのような小規模かつ新興のワイナリーが、成長する過程での課題は何ですか?


 一番の課題は、適した人材の確保や機械類や建物の更新をどう進めるか。それが私たちのようなベンチャーワイナリーが、品質を上げ続けられるかどうかを左右しています。
 若い人材を集め、育てるためにも、魅力的な職場であり、仕事でなければならいと思っています。思うような人材が集まらず、悩んだ時期もありましたが、集まってくる人材は私たちの映し鏡のようなものであると言い聞かせ、魅力的な集団であり続けようとしました。その結果、幸い最近は優秀な人材が集まるようになりました。いまはワインを造りたい人たちをどう育て、自らの仕事をどう譲っていくかを考えながら仕事をしています。


――日本でも新しいワイナリーが多く生まれています。キスヴィンにとってこうしたライバルはどんな存在ですか?


 ライバルがいないと面白くないので、むしろ強敵の出現を待っています。それと同時に、同業者への敬意は常に忘れずに持っていたいと思っています。
 ワイナリー経営という視点での教育、ブドウ栽培に関する研究を強くしないと日本のワイン界に未来はないと思います。ライバルたちと切磋琢磨しながら、その点を私たち自身も頑張りたいですね。




"空想力"が次のステージへと進む革新力の源になってくれる

――最後に個人的な質問をさせてください。斎藤まゆという一人の人間の強みはどんなところにあるとお考えですか?


 常に夢を見ることができることでしょうか。小さい女の子が、「将来ケーキ屋さんになりたい」と夢想しますよね。大人になるとなかなか夢を見なくなるものかもしれませんが、私はいまでも夢見がちな人間です。何かを実現するには、「どうありたいか」という姿をイメージすることが最も大切だと思っているからです。


ワインを作りたい人たちをどう育て、自らの仕事をどう譲るかを考えながら仕事をしているワインを造りたい人たちをどう育て、自らの仕事をどう譲るかを考えながら仕事をしている


――具体的に、これまでどんな夢が実現しましたか?


 ブルゴーニュから日本に帰る飛行機に乗っているとき、ふと閃いた夢がありました。それは、ファーストクラスで出されるワインを造りたいということです。
 ファーストクラスには、各界の第一線で活躍する一流の人が多く搭乗されています。そんな人たちに味わってもらえる最高のワインを造りたいと思ったのです。
 その夢は、2019年にANA国際線ファーストクラスのサービスワインに「Kisvin Koshu」が選ばれたことで叶いました。


――いま抱いている夢は何ですか?


 いまはコロナの影響で閉めていますが、私たちはワイナリーに小さな直売所を併設しています。コロナの前は、最寄りのJR中央本線塩山駅から、徒歩15分くらいの道のりを歩いて、ワインを買いに来てくださるお客さんもいらっしゃいました。私たちのワインがどうしても飲みたいというファンがもっと増えて、塩山駅の改札から直売所の入り口まで途切れることなく延びる長い行列を見るのが夢。近いうちに必ず実現させたいと思っています。


 もう一つ、ワインで地域を活性化させて、日本にもっとワイン文化を根付かせたいという夢もあります。そのために、2018年からワイナリーの見学ツアー(1~7月に月1回金曜日に開催。現在はコロナの影響で休止中)を始めました。


――その夢と見学ツアーがどんな風に結び付くのでしょう。


 ブドウ畑や醸造所を巡る私たちの見学ツアーは、午前中で終わります。すると参加者たちが、地元でランチを食べて買ってくれるかもしれません。タクシーに乗ったり、お土産物を買ったりしたら、少しでも地元にお金が落ちるでしょう。ツアーには1回7名までしか参加できませんから、微々たるものですが、微力でも地域の役に立ちたいのです。


ワイナリー経営の視点での教育、ブドウ栽培に関する研究を強くしないと日本のワインに未来はないと思うワイナリー経営の視点での教育、ブドウ栽培に関する研究を強くしないと日本のワインに未来はないと思う


 そしてワインは、米や野菜や魚などのように生きるための必需品ではなく、あくまで嗜好品です。なくても生きていけるのに、あえて楽しみたいという文化が広がることが、日本でワインの消費をもっと上げるきっかけになると信じています。単に飲むだけではなく、ワイナリーでワインをもっと身近に感じる経験ができたら、ワインを楽しむ文化の広がりにも一役買えるのではないかと密かに期待しています。


――ブドウの収穫時期、そして仕込み開始というまさに繁忙期に、ありがとうございました。これからも甲州市塩山から世界のワイン通をうならせるワインを続々と生み出していってください。コロナ禍を乗り切った後には、塩山駅からワイナリーまで行列ができる光景を見たいです!



■取材協力
キスヴィンワイナリー(Kisvin Winery)

キスヴィンワイナリー(Kisvin Winery)

所在地:山梨県甲州市塩山千野474

電話番号:0553-32-0003
ホームページ:http://www.kisvin.co.jp/
地図:


※記事の情報は2020年10月23日時点のものです。

  • プロフィール画像 斎藤まゆさん ワイン醸造家〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    斎藤まゆ(さいとう・まゆ)
    ワイン醸造家
    キスヴィンワイナリー醸造責任者

    1980年 福岡県生まれの神奈川県育ち
    2000年 早稲田大学在学中、フランス文学者の加藤雅郁が主宰する「ワイン収穫隊」に参加。フランスの畑と醸造所を巡って感銘を受け、ワイン醸造家を志す
    2001年 早稲田大学を中退。単身渡米し、カリフォルニア州立大学フレズノ校のワイン醸造学科で学ぶ。成績優秀により、同校ワイナリーの醸造アシスタントに抜てきされ、現地学生の指導に当たる
    2007年 ブドウ栽培家荻原康弘の依頼を受けて「Team Kisvin チームキスヴィン」に参加
    2010年 フランス・ブルゴーニュシャブリ地方のドメーヌ・ジャン・コレで研修。滞在は当初2カ月の予定だったものの、実力を認められて1年以上滞在。2回のシャルドネの仕込みを経験。ジャン・コレ当主の勧めで、ドメーヌ・ティエリ・リシューなど2つのワイナリーでピノ・ノワールの醸造を学ぶ
    2013年 キスヴィンワイナリーの醸造責任者に就任
    2017年 ジェラール・バッセがそのワインを激賞。世界から注目される醸造家の一人となる
    2019年 「Kisvin Koshu」がANA国際線ファーストクラスのサービスワインに選ばれる

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