《まとめ》仲間と家族と。

APR 28, 2020

ペンネーム:熱帯夜 《まとめ》仲間と家族と。

APR 28, 2020

ペンネーム:熱帯夜 《まとめ》仲間と家族と。 家族という小さな共同体といっしょに、人はどのように生きてきたのか。昭和から平成へ、そして次代へ。市井の企業人として生きる男の、家族と生きた記録。自分に家族に、仲間に、ふいに訪れた人生の分岐点で、どんな選択をしてきたのか。決断の連続である人生で出会った大事な人やモノへの想いを綴ります。

息子の野球

息子の野球

FEB 12, 2019 真夏のように暑い5月の土曜日のこと。
夕方になって8歳の息子が、ユニフォームを泥だらけにして少年野球の練習から帰ってきた。いつもだったら「パパー!」と駆け寄ってくるのに、「ただいま」と素っ気ない。そのまま風呂に入り、しばらく出てこなかった。どうも様子がおかしい。
父と行った海辺

父と行った海辺

MAR 26, 2019 それが私が聞いた父の最後の言葉だった。
小学校の何時間目が終わったときだったかは定かではないが、教室に現れた教頭先生に職員室へ連れて行かれ、そこで「迎えの人が来るから早退して帰宅するように」と言われたことは憶えている。
父の教室

父の教室

APR 9, 2019 月並みであるが、私の中には父がいる。
私の父は、私が幼稚園生のころに三重県の某所で工場長をしていた。いわゆる単身赴任である。一年に何回か、私と姉は母に連れられて、東京から列車に乗り独り住まいの父の元に遊びにいった。
T君が教えてくれたこと

T君が教えてくれたこと

JUN 4, 2019 私は、社会人歴28年である。
広告会社は長らく、メディア、特に4マス媒体と言われたテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の広告枠を得意先に売ったときのコミッションつまり手数料が利益の源泉だった。よっていかに良いメディアを仕入れるかが広告会社の良し悪しのバロメーターのようなところがあった。
姉の記憶

姉の記憶

JUL 23, 2019 私には4歳年上の姉がいた。記憶はとても薄い。
私は、姉には正直言って良い思い出があまりない。私は生まれつき健康で、運動に関してもなぜか飲み込みが早く、姉にとっては目の上のたんこぶだったのだと思う。そのせいか、私はことあるごとに姉に虐められていたような気がする。
最後の夏、最後のバッター

最後の夏、最後のバッター

OCT 1, 2019 バッターのフルスイングは空を切った。
最後のバッターに、相手高校のエースが、その日最速の151kmのストレートを投げ込む。渾身の一球が唸りを上げる。あっという間にキャッチャーミットに吸い込まれ、バッターのフルスイングは空を切った。ゲームセット。
ターニングポイントの出会い

ターニングポイントの出会い

JAN 7, 2020 「結果の出ない努力は、努力ではない」
息子は、とにかく努力をすること、そして努力を続けることこそが大切なのだと理解していたのである。これに対し、一見厳しく思える監督の言葉だが、ビジネスの世界に身を置く人間としては真理を突く言葉である。
私を創った人たちへ向けて

私を創った人たちへ向けて

MAR 3, 2020 1980年7月、テニスのウィンブルドン決勝。
ウィンブルドン4連覇中のビヨン・ボルグと、アメリカの新星ジョン・マッケンローとの死闘が始まっていた。はじめのうち私は何となく、5連覇がかかっているボルグを応援していたのである。
小学5年生の決断

小学5年生の決断

MAY 12, 2020 今回は人生の決断について書いてみようと思う。
息子が、考えていることがあると言って来たのである。それは、「チームを移籍したい」ということであった。これには驚いた。一瞬何を言っているのか分からなかった。青天の霹靂とはこのことである。
断片的な思い出

断片的な思い出

JUL 7, 2020 私は9歳の時に父と死別した。
彼との思い出を全部は書ききれないが、やはり断片的な思い出として、折々に私の頭に、心に現れる。その一つに、父が単身赴任していた三重県四日市市に、母と私で訪れていた日の記憶がある。
私を創った人たちへ向けて <今を生きること>

私を創った人たちへ向けて <今を生きること>

OCT 6, 2020 2018年8月に母が脳梗塞で倒れてから、約2年が経った。
当初は保って1週間と告げられたが、奇跡的に持ちこたえた。2年経った今でもお陰様で存命である。ただ、梗塞が起きた時の脳のダメージはいかんともしがたく、身体の右側の麻痺、言語障害が重く残ってしまった。
私を創った人たちへ向けて <親子での合い言葉>

私を創った人たちへ向けて <親子での合い言葉>

JUN 8, 2021 息子は今年7月で20歳になる。
ついこの前まで、「パパー!」と言って玄関まで走って迎えに来て抱きついてきたような気がするが。 今は、「ふーん」「あーそう」「じゃ」こんな言葉が会話の大半である。
天才と不良

天才と不良

MAR 9, 2021 私は友人が少ない。
知り合いは多いのだが、友人と呼べる人は数えるほどである。特に社会人になるといろいろな人間関係が生まれて、仲間は増えていく。ただ学生時代のように、くだらない話をして、ともに泣いたり、笑ったりする機会が減ってしまったように思う。
年の離れた妹

年の離れた妹

MAY 11, 2021 私には8歳違いの妹がいる。
私が5月生まれで、妹が3月生まれなので、正確には学年としては7年違いなのだが、年齢としてはほぼ8歳違いである。以前に書いたように、私には4歳上の姉がいたのだが、小児喘息で9歳で他界している。
小学校、担任のA先生

小学校、担任のA先生

JUL 6, 2021 人生も56年間も生きてくると、多くの方々との出会いがあり、別れがあった。
かつて書いた高校時代の恩師K先生も私に大きな影響を与えてくださった。同じように私の人生の転換期に担任をしてくださっていたA先生も忘れられない恩師である。
先を読んで走る、マニュアル車のように。

先を読んで走る、マニュアル車のように。

SEP 15, 2021 私は車の運転が好きである。
「走り屋」「レーサー」「整備士」「改造」いずれも興味はあるものの、私は違う。敢えて言えば、「車好き」なのだろう。凄い運転技術があるわけではないが、かといってゆったりドライブというわけでもなく。そこそこの運転技術で車を動かすことが何よりも楽しい。
人生初の北海道旅行

人生初の北海道旅行

JAN 18, 2022 人生初の北海道旅行に出かけた。
大学2年生、21歳の時だった。大学同級の親友と男2人旅である。前年10月に、バイトでためた軍資金で購入したトヨタ スターレット(EP71)で東京の自宅から全行程を車で移動する旅行だった。
思い出の灯台

思い出の灯台

JUL 5, 2022 私の父が鬼籍に入ったのが1974年なので、今年で48年になる。
父と会えなくなってもう少しで半世紀。以前にも書いたように、強烈な印象のある出来事は今でも鮮明に記憶に残っているが、細かい記憶は私も年齢を重ねるにつれて忘却してしまっている。
夢へ向かって

夢へ向かって

JUL 5, 2022 2023年9月に息子が、とある地域の教員採用試験に合格した。順調にいけば2024年4月から小学校の教員になる。
彼は、高校3年の春に腰椎分離症という大けがを負い、10年間続けてきた野球人生の集大成となる夏大会への出場が絶望的になった。その時に裏方に徹し、ピッチングコーチとして同級生、下級生ピッチャーと接した。高校以前でも小学校、中学校でも後輩に教えたり、アドバイスをしている姿は見ていたが、自分がプレイできない中でチームに、チームメイトに役に立つことと考えたようである。
  • プロフィール画像 ペンネーム:熱帯夜

    【PROFILE】

    ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)

    1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。

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